映画『フリーダ・カーロの遺品~石内都、織るように』
6月はコンサートが多くて映画の試写になかなか行けなかった。といっても、コンサートと違って試写会は日程の選択肢があるから、後伸ばしになるだけなのだけど。というわけで、ここのところ試写会続き。7月7日「七夕」の日は試写とコンサートの二本立て。
映画は小谷忠典監督によるドキュメンタリー『フリーダ・カーロの遺品~石内都、織るように』。フリーダ・カーロ(1907~1954年)は不自由な身体を抱えながらシュルレアリズムの芸術家として動乱の20世紀前半を生きたメキシコの女流画家。彼女が50年前に没した時にその遺品は公開されることなく密閉された(何らかの理由が映画の冒頭で語られていたと思う)。その後メキシコのコヨアカンの生家「フリーダ・カーロ博物館」(通称「青い家」)で半世紀の間、眠り続けていたのだが、2004年に封印が解かれ、学芸員の発案で遺品を写真に撮るプロジェクトが組まれた。そこで白羽の矢が立ったのが、写真集『ひろしま』などで知られる写真家石内都。映画は石内が「青い家」でフリーダの遺品と向かい合い、撮影していくプロセスを、メキシコの人たちの暮らしや死生観などとともに描いていく。
フリーダ・カーロをよく知らないので、何かを語るなんてことはできないけれども、フリーダと石内都、メキシコの土地と人々の死生観(あるいはその再生?)を重ね合わせた、とても重たくて見応えのある映画だった。始まりと終わりのシーンの死者の祭りが象徴するように、多くの死と肉の苦しみが語られる。
メキシコでは「服は第二の皮膚」と考えられているという。そして民族衣装は祖母、母、娘へと受け継がれる。服にはそれを身に付けていた人の魂が宿っている。フリーダの遺品(映画ではコルセットや民族衣装や靴に焦点があたっていた)を写真に撮りたいというメキシコの学芸員の想いが今ひとつピンと来なかったけれど、映画を観てよく分かった。ふくよかな若い女性ダンサーのエピソードが印象的だ。彼女はいわば生の象徴、色鮮やかな民族衣装を着て誇らしげに踊るシーンがすばらしい。これを機にフリーダの作品をじっくり見てみたい。映画は8月にシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開だそうです。
試写が終わって、会場の京橋の試写室から後楽園の文京シビックへ。プレトニョフ率いるロシア・ナショナル管弦楽団のコンサート。メキシコから今度はロシアだ。(7月7日 その1)
映画は小谷忠典監督によるドキュメンタリー『フリーダ・カーロの遺品~石内都、織るように』。フリーダ・カーロ(1907~1954年)は不自由な身体を抱えながらシュルレアリズムの芸術家として動乱の20世紀前半を生きたメキシコの女流画家。彼女が50年前に没した時にその遺品は公開されることなく密閉された(何らかの理由が映画の冒頭で語られていたと思う)。その後メキシコのコヨアカンの生家「フリーダ・カーロ博物館」(通称「青い家」)で半世紀の間、眠り続けていたのだが、2004年に封印が解かれ、学芸員の発案で遺品を写真に撮るプロジェクトが組まれた。そこで白羽の矢が立ったのが、写真集『ひろしま』などで知られる写真家石内都。映画は石内が「青い家」でフリーダの遺品と向かい合い、撮影していくプロセスを、メキシコの人たちの暮らしや死生観などとともに描いていく。
フリーダ・カーロをよく知らないので、何かを語るなんてことはできないけれども、フリーダと石内都、メキシコの土地と人々の死生観(あるいはその再生?)を重ね合わせた、とても重たくて見応えのある映画だった。始まりと終わりのシーンの死者の祭りが象徴するように、多くの死と肉の苦しみが語られる。
メキシコでは「服は第二の皮膚」と考えられているという。そして民族衣装は祖母、母、娘へと受け継がれる。服にはそれを身に付けていた人の魂が宿っている。フリーダの遺品(映画ではコルセットや民族衣装や靴に焦点があたっていた)を写真に撮りたいというメキシコの学芸員の想いが今ひとつピンと来なかったけれど、映画を観てよく分かった。ふくよかな若い女性ダンサーのエピソードが印象的だ。彼女はいわば生の象徴、色鮮やかな民族衣装を着て誇らしげに踊るシーンがすばらしい。これを機にフリーダの作品をじっくり見てみたい。映画は8月にシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開だそうです。
試写が終わって、会場の京橋の試写室から後楽園の文京シビックへ。プレトニョフ率いるロシア・ナショナル管弦楽団のコンサート。メキシコから今度はロシアだ。(7月7日 その1)
by Musentanz
| 2015-07-10 22:43
| コンサート他